音と歌詞のズレから見える、ROTH BART BARONという文学

      2016/06/05

rothbartbaron

僕らは学校に火をつけて 明るくなった校庭で笑ってた

#Campfire

歌詞を形容する言葉に、”文学性が高い”とよく言われる。

 

イマイチ、ピンとこなかった。

 

少し小難しい言葉を並べれば文学性が高いと評される。

最近、歌詞に関する文学性が高いという表現は、「言ってることは難しくないけど、なんだか頭良さそうに見える」くらいの印象しか与えられてないぞ。と思うわけだ。

 

日本語の歌詞の良さってもっと間接的な言い回しで情景を表現できるとこじゃないの?

それが文学性じゃないの?

 

って感じたあたりからインストゥルメンタルや洋楽を聴くウェイトが増していった。

 

ROTH BART BARONの歌詞

本題に入る。

最近その知名度が右肩上がりのROTH BART BARON

多彩な楽器を駆使したサウンドは北欧音楽のようで、ファルセットがそのままサウンドスケープとして成り立つというところは、シガーロスなどのポストロックの影響も感じる。

 

日本離れしたサウンドに乗っかるのは、純文学のようなドギツイ歌詞だ。

街じゅうのビルが崩れることを望みながら

 

このアンマッチ感に、最初はかなり首をかしげた。

どの曲にも世紀末感が漂い、SFのような世界が浮かんでくる。

 

もしも僕が女の子だったら あの戦闘機を打ち落として 君を必ず迎えに行くのに

Buffaloという曲なんて出だしからこれだ。ここからどう展開していくというのだ。

 

サウンドと歌詞のズレ

サウンドと歌詞のギャップというものは、良くも悪くも不自然な引っかかりを残す。

Mr.Childrenやサザンなんかはこれを嫌い、うまく融和した言葉選びをするが、最近のバンドは特にインパクトのある歌詞を書こうとして、個性の強い言葉選びをする傾向が強い。

 

ROTH BART BARONは特に顕著で、正直好き嫌い別れるとこだと思う。

優しいサウンドに、漂流教室みたいな歌詞がドーーーン!

 

あとは字余り、特に字足らずが気になる。

言葉をメロディに合わせて伸ばすのがちょっと気持ち悪く感じることがある。

 

そこも計算されたものだったらお手上げだけど、さすがにそれはないでしょ。

 

ROTH  BART BARONの文学

ちょっと批判気味に書いたけど、彼らの音楽を聴いて真っ先に「文学性の高さ」という言葉が浮かんだ。

それは冒頭に述べたようなニュアンス的な意味合いではなく、ストーリーとしての文学性。

 

360度視点のMVで話題のこの曲も、例に漏れない世紀末ぶり。

 

最初は苦手だったアンマッチ感も、だんだん癖になって最近では口ずさんでしまうほど。

 

 

彼らの曲に難しい言葉は出て来ない。

ひたすらファンタジーと世紀末を歌い上げる。

 

サウンドにぴったりと融和しないファンタジーな言葉選びが、耳に引っかかりを残し、ゆっくりと体の中に落ちていく。

おそらく、ROTH BART BARONの歌詞に文学性を感じるのは、その言葉だけではなく、それを引き立たせるちょっとした違和感にあると思う。

 

結局のところ、「文学性が高い歌詞」という形容に関して、懐疑的な目は払拭できていないが、好きなくともROTH BART BARONは、純文学のような世界観は持ち合わせており、かつそれをリスナーに感じさせる工夫が為されている。(無意識かもしれないが)

これは他のミュージシャンが同じ歌詞をロック調のメロディに乗せてシャウトしながら歌っても、文学性が高いとは感じないのではないか、と思うわけで。

 

なんにせよ、こんな優しいメロディに破壊的な歌詞を乗せる音楽家は他にはおらず、それが歌詞の味になっているのは確かだ。

 

 

これが文学性の高い歌詞だ!と大っぴらに言っておらず、ただ音楽の持つ世界観に向き合っている印象をヒリヒリするほどに感じるのも好印象。

 

日本離れしたサウンドに、独特な日本語の歌詞。

 

このギャップは本当に唯一無二。

 

きっとこのズレこそが、ROTH BART BARONという文学だ。

 

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